まさに心のバリアフリーですね。
コミュニケーションというものは、双方が心を開きあわなければ成立できない。
きちんと心を開いて向き合えば、コミュニケーションが成立しないことはあり得ない。
思い込みで自分を縛ることなく、出来る事を出来るようにやっていく。
それだけで十分、生きているだけで素晴らしい。
上を見てもきりがなく、下を見てもきりがない。
与えられた環境に愚痴を言っていても、それが変わるわけではない。
自分が行動を起こしてこそ、環境は変化させられる。
今あることに感謝して、前を向いて生きていきましょう。
八百万の日本で暮らしているせいなのか、一神教を旨とする方々の神に対する精神的な支柱の強さには、圧倒される面もありますが、全てを受け入れる「慈愛」の心で向き合えれば、個人個人はいい人なのですよね。
それが集団対集団となった時、十字軍のような「排他」の道具とされると怖いものになるのですが…
ハンディーキャップを持ちながら、まっすぐに前を向いて必死で生きようとする人の姿は、いつの時代でもまぶしい命の輝きを放ちますが、己が生き残るのに必死な時代には、それに手を差し伸べる優しさを求めることも酷であったのだと思います。
自分が生き延びるだけでなく、他の人々も一緒に生き延びていくために力を出し合える時代と国に生まれたことに感謝をしながら、アジアの国々も共に、そうした慈愛に満ちた社会が実現できるように歩みを進めることが、その恩に報いる事なのかな?と思います。
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