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2013年08月27日

胃の病気は、胃酸過多と運動変調から起きる

胃の症状というと、お腹がすいた時のジリジリと焼けるような痛み、食事をした直後のズキンと突き刺さるような痛み、食べた物がいつまでも胃にもたれて食欲が出ない不快感、突然にギリギリとしぼられるような痛み、等が思い浮かびますが、これらの症状はすべて、胃の粘膜に障害が起きているか、胃の動きが不安定になっている時に感じるサインなのです。
胃の中は、食べたものを消毒して安全に消化を進めるため、強い酸を含む胃液で満たされています。しかし、胃自体が、その酸で溶かされない様に厚い粘液を含む膜(粘膜)で守られています。粘膜自体は、胃酸の効果でじわじわと溶かされ続けているのですが、粘膜の外側に、新しい粘膜を作る粘膜下層という組織があり、通常の場合、十分なスピードで粘膜の補充が行われるため、胃酸の効果が胃壁内に及ぶことはありません。また、粘膜と粘膜下層には、神経のセンサーが入っていないため、粘膜が正常に入れ替わっている限り、何も感じられないものなのですが、(食べたものがそんな形で何処にあると言い当てられる人はいませんよね?)その粘膜バリアが何らかの原因で破綻を起こすと、胃酸が胃壁の中まで侵入してきて粘膜下層に炎症を発生させ、その炎症の信号がジリジリとかズキンとした痛みとして認識されるのです。
そして、その粘膜下層の外側には、腸での栄養吸収をスムースにするため、どろどろのスープ状になるまで食べ物を揉みこなすために、厚みのある強い筋肉の層があります。通常であれば、食べ物が胃に入ってくると自動的に筋肉の運動スイッチが入り、食べ物を揉みこなしながら少しずつ小腸へと食べたものを流していきます。ところが、あまりに勢いよくものを食べ過ぎて胃が膨らまされてしまったり、冷たいものや水物を多くとりすぎて、胃が冷やされて血液の循環が滞ったり、胃酸が薄められすぎたりすると、胃の中で食べ物を上手くこなせなくなり、胃の内容を小腸へ送り出すことが出来なくなるため、いつまでも胃が持たれるような感じとなったり、逆に胃の中にまだ食べ物が入ってきてはいないのに、不安などに伴う自律神経のいたずらで、胃の運動スイッチが入ってしまうと、胃が締め付けられたり捻じられたりする様な痛みを感じることになるのです。
タグ:胃のはなし
posted by shirokuma at 19:50| Comment(0) | 健康講座

2013年08月24日

アルコール依存症

アルコール依存症

理論派の救急医Hisaya Oyama 先生のレポートです。

今回は、「アルコール依存症」についてのレポートです。

このレポートを読まれて、もし、依存を心配される方がいらっしゃいましたら、毎月月初めに、暦に休肝日マークをつけましょう。
色々言い訳せず、付けたマーク通りに休肝日を取れるなら、問題はありません。
ただ、仕事なり、プライベートなり、さまざまな理由をつけて、振替することもなく休肝日と決めたはずの日にもダラダラ飲んでしまうようなら要注意!Oyama先生が示された、依存症の段階2-3の境界にいるということになります。
ちなみに、これは飲む量とは関係ありません。
アルコールを飲まないと決めた日に、アルコールを入れないで済ませられるか?という問題であり、いつもの半分の量にしたから、我慢できたという話ではありませんので、お間違えにならないように。

通常、休肝日の話をするときは、週に二日程度と推奨されていますが、出来れば三日飲酒、一日お休みのバラバラでとるのではなく、五日飲酒、二日お休みのパターンで取っていただくことをお勧めしています。

肝臓でのアルコール代謝は、個人差がありますが一時間につき1CCから数CCに過ぎず、一合のお酒に含まれる25CCのアルコールですら、人によってはほぼ一日かかって処理されることになり、三合以上の飲酒であれば、翌日まで処理が持ち越しになることもしばしばという話になります。
なので、常習的に飲酒をされている方には、ぜひ休肝日を取っていただきたいという話になるのですが、一日だけの休肝日では、その持ち越し分の処理が終わってほっと一息つく暇なく次のアルコールが入ってきてしまうため、肝臓の機能回復が十分行われず、じわじわダメージが蓄積されてしまうケースをまま見かけます。
ですから、休肝日の一日目はたまった後処理の日、二日目は機能回復の日として、二日連続での休肝日を取っていただくのが理想となります。
イメージとしては、集中豪雨のあとのがれきをやっと片づけたと思ったとたんにまた雨が降るという感じで、その次の雨が降る前に水路を広げるとか、土嚢を積み増すとかの作業をする時間が欲しいのですよ、という感じとなります。

あと、一般論として、日本人の場合、一生のうちにアルコールでおよそ一トン飲むと肝硬変になれるという話があります。
アルコールで一トンというと、膨大な量に感じるでしょうが、日本酒換算でおよそ4000升ほどになります。
これを法律を守ったとして、二十歳から六十歳までの四十年かけて飲むとすると、一年あたりでおよそ100升。
なんか身近な量になってきていませんか?
さらに一日当たりにすると、およそ二合五勺程になります。
なんか、よく飲んじゃう量になってませんか?
ということは、一日三合ペースで毎日お酒を飲むと、定年前に肝臓障害でお医者さんのお世話になっちゃいますよ!ということなんです。しかも、それを越して飲むアルコールは、この世で飲む分を越してあの世の分を前借することになりますから、飲めば飲むほどあの世に近づいてしまいますよ!という話にもなります。

日本酒一合=約25CCのアルコールというのは、
ビールなら、中ビン(500ml)一本
焼酎なら、1/2のお湯割りか水割りで一杯
ワインなら、グラス二杯
ウイスキーなら、ダブルの水割りで一杯
でほぼ同等となります。

さあ、あなたは、この世で安心して飲める分が、あとどれぐらい残っていますか?
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posted by shirokuma at 17:41| Comment(0) | FB覚書

「食の正論」で家庭は崩壊〜超現実的食育のススメ

「食の正論」で家庭は崩壊〜超現実的食育のススメ

どういった分野においても、現実に即さない「正論」を振りかざし、破綻を招いているケースを見かけます。

文中にもある、核家族化の進行に伴う、食と調理の知識と技術の伝承の途絶、少人数になればなるほど非効率となる、食材の整え方と調理にかけられる手間と時間。
こうした方がよりいいのは分かって居るけれども、それを無理に実行することで生活自体が成り立たなくなるジレンマ。
根本的な解決に導く一つの方策としては、社会制度として大家族回帰への潮流を作ることなのですが、それが明日・明後日に出来るわけではなく、現実どうして行ったらいいか?という話になります。

いつも言っていることですが、「ねばならない」でくくらないでください。
出来る事を出来る分ずつでいいのです。たまの手抜きも、もちろん結構。肝心なのは、持続できる努力を続けることなのです。
今の日本の食事事情で、加工食品を完全に排除することも、有害な添加物が一切含まれない食材をそろえ続けることも、毎食毎食、過不足のない完全な栄養バランスの食事を提供し続けることも、はっきり言って不可能なのですから…
不可能を可能とするために頑張った結果、食事を提供する人自身が倒れたのでは、元も子もなくなってしまいます。
こうしたほうが良いね、という方向性をしっかり見つめながら、少しずつ実現に向けた努力があればいいのです。

文末にあるように、出来合いを組み合わせたものでもいい、ほんの少しでいいので手をかけて、一緒に笑いながら食事をととる。
食事という行為が、ただ単に栄養補給というのみではなく、色々な意味で大事なものだと感じられるようにしていく、その意識を持つだけでも大きな意義があるものだと思います。

生き物はバランスで成り立っています。
精製された食べ物は、効率よく栄養を吸収できてしまう分、簡単に特定の栄養の過剰状態を作り出してしまいます。だから「安易な使用は危険だよ」、ということ自体はその通りなのですが、それを理解したうえで適正に使えているならば問題ないのです。
(その「適正に」を守るのが難しいという話もまたあるのですが…)
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posted by shirokuma at 17:33| Comment(0) | FB覚書