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2013年12月14日

「潰瘍性大腸炎」と「関節リウマチ」

『潰瘍性大腸炎』のレポート

「関節リウマチ」のレポート

リウマチの近縁疾患である「繊維筋痛症」のレポート

理論派の救急医Hisaya Oyama 先生のレポートです。

今回は難病シリーズで、安倍首相で有名になった「潰瘍性大腸炎」と、高齢になればなるほど深刻になりやすい「関節リウマチ」についてのレポートです。

潰瘍性大腸炎、クローン病、リュウマチ性疾患、等々、生物学的製剤が有効な難病はすべて、自己免疫反応によって引き起こされています。そのきっかけとなる部分に関しては、まだ未解明の部分があり、どの抗原に反応し、どこに障害が現れるかというのがそれぞれの病気によって異なるものなのですが、「異常な興奮を起こした免疫細胞が、自分を構成している正常な細胞まで異常と認識して攻撃を加えてしまうようになって発生する」という点で共通しています。

まるで、国を守る軍隊が、部落に紛れ込んだゲリラを洗い出すために乗り込んできたのはいいけれど、派遣された部隊が少なすぎたり、ゲリラの被害があまりに激しすぎたりしたために、司令官がパニックを起こしてしまい、一般住民を巻き込むのもいとわず、部落全体を殲滅させてしまおうと無差別に攻撃する状態となっているようなもので、国連軍の介入のように免疫抑制剤を使うことで、一時的に鎮静化(緩解導入)することはできるのですが、同様のパニックが引き起こされるたびにジェノサイド(再発&再燃)を繰り返し、どんどん病状が悪化していくことになるのです。

しかも、攻撃を加える側も自分自身、被害を受けるのも自分自身という事で、自分の身体に内在した反応であるため、基本的に一生その体質から逃れることはできず、ひたすら再燃を呼ばないように安定した生活を維持してゆくという事が、唯一の解決策となります。

もちろん、急性期には、それ以上身体にダメージをこうむらないように、早急に適切な治療を受けなければなりません。しかし大切なのは、小山先生のスレッドで西野先生が繰り返し訴えておられる通り、緩解導入に成功した後の慢性期の生活管理なのです。

その慢性期の生活管理で、何が大切なのかというと、「無理をしない!」の一言です。
身体を無視した負担をかけ続けて慢性疲労の状態となったり、生活リズムの乱れや神経的な不安定から自律神経のアンバランスをまねいたり、偏った食事内容で腸内細菌のバランスを乱して悪玉菌を増やしたり、刺激物の習慣的な大量摂取を続けたり、そうしたことの一つ一つが、再燃の引き金を引くことになります。

こういうことを言うと、「じゃあ、入院していた時のように、何にもできずじっと寝ていろって事ですか!」と涙目で訴えられるのですが、そうではありません。「身体と相談しながら、できる分はやっていいんです。」ただし「やりたい事をやりたい位にやってはいけません!」という事なんです。
そして、その出来る分を広げるために、維持的な内服治療をするのです。

この、生活の負担と内服治療の関係は、波と堤防の関係にたとえられます。
べたなぎの時には、堤防があってもなくても、浜が潮を被ることはありません。
しかし、堤防があれば、多少の波が来ても、浜を潮から守ることが出来ます。
ただし、いくら堤防があっても、その堤防を越える大波が来てしまえば、やっぱり浜は潮を被ってしまう(再発してしまう)ことになるのです。

ですから、いつまで、どのぐらいの薬を飲まなければならないのかという問題は、波が起こる可能性のある間(基本的に一生)、生活の様子(体への負担)に見合ったぐらいという事になり、薬を飲んでいてさえ、支えきれないほどの負担(ストレスや急な疲れなどのイベント)があると、再燃が起こるのです。


加えて、自己免疫疾患には、様々な民間療法、代替え治療もまことしやかに流布されているのですが、実のところ、私は代替医療のすべてを否定するものではありません。
酵素ジュースであれ、リンパ体操であれ、それなりにいい面も確かにあるわけで、良い事の上に良い事を積み重ねて自分の身体と仲良く気分良く過ごせるなら、それはそれでOKだと考えています。

ただし、それはトータルバランスの中でという話であって、「何かさえやっていれば、他は何をやっても大丈夫」だとか「何かさえ排除しておけば、その他はどうでもいい」という都合のいいことは、やっぱりないのです。
大多数の代替療法が、免罪符的に「これさえやれば、あなたの不摂生は帳消しにされる」とか「これさえやっておけば、何を食べても大丈夫」的な事を謳い、間違った道に誘導してしまうことが問題だと考えています。

自己責任で、自分が好き好んでやる分には特に問題ないのですが、他人に対して「これが良いよ」と勧める場合には責任が生じます。

当然のことながら、より良い方向に導けるような理論と経験の裏付けを持って、対象となる方の特性やバックグラウンドを理解したうえでの指導が必要となります。
対象者の状態によっては、通常良い事とされることが、かえって毒になることもしばしば見受けられます。

きちんと条件を分けて、条件ごとに必要な行動を指示できるのか、一派一絡げに「ねばならない」でくくって強制するのかが、科学と似非科学を分ける境界だと思っています。
posted by shirokuma at 19:26| Comment(0) | FB覚書
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